ペイオフとは

預金保険制度

「預金保険制度」は、金融機関が経営破綻した場合などに預金者の保護と金融の信用や秩序を保つため、1971年(昭和46年)に導入された制度です。金融機関が保険金を支払い、銀行などが倒産しそうになった時に資金を援助して経営を立ち直らせたり、他銀行との吸収・合併を行ってその費用を提供したりするという制度です。そして「ペイオフ」とは、金融機関が破綻した場合でも、ひとりの預金額が1000万円とその利息までは預金者に払い戻されるという制度のことです。限度額以上の部分については、破綻した金融機関の資産を清算して支払われるために、全額戻ってくるとは限りません。

預金保険法によって政府や日本銀行・民間金融機関の出資で設立された「預金保険機構」が、預金保険制度の運営をしています。預金保険制度には日本国内に本店がある銀行、信用金庫、信用組合、労働金庫などの金融機関が加入していますが、外国にある支店や外貨預金は対象とはなりません。

1929年10月のニューヨーク株式市場の大暴落により勃発した世界恐慌で、米国では金融機関の破綻が相次ぎました。さらに預金者が預金払戻しを求めて金融機関の店頭に殺到する「取付け騒ぎ」が起こるなど、社会不安が増大したのです。そこで、銀行部門の健全化と預金者の保護を図るため、1933年銀行法(グラス・スティーガル法)が制定され、連邦全体に預金保険制度が導入されました。この預金保険制度は、第二次世界大戦後の1970年代までに、カナダや日本、一部の欧州諸国などに順次導入されていきました。日本は10番目の導入で、世界でも早い方だそうです。その後も各地で金融危機が発生したため中南米やアジアなども導入し、世界中にこの制度が広まりました。

2008年9月に「リーマン・ショック」(大手投資銀行のリーマン・ブラザーズの破綻)が起こり、再び「100年に1度」ともいわれる金融危機が世界を襲いました。そんな状況の中、あらためて預金保険制度の重要性が認識されたのです。日本においては、明治時代から何度も恐慌が発生し、銀行の取り付け騒ぎも珍しいことではなかったので、預金や預金者の保護についてはずいぶん早くから問題となっていたようです。明治39年(1906 年)にはアメリカの制度の紹介論文が発表されているそうですし、昭和2年に銀行法が制定されたときには、衆議院で預金保険制度導入について議論が交わされたという記録が残っています。

預金保険制度は制定されたものの、バブルが崩壊すると経営が危うくなった金融機関が多数出現しました。ここでペイオフを実施すると、預金者がより安全な金融機関に預金を移しはじめ、規模の小さい銀行では資本が無くなって経営が破綻する危険が増大するとして、政府はペイオフの凍結を決めました。さらに金融機関の不良債権処理が進まず相変わらず金融不安は続き、何度もペイオフは解禁を延期されています。2003年にりそな銀行が経営破綻しそうになった時には、地域経済だけでなく国へのダメージも大きいということで、政府が巨額の公的資金を投入して一時国有化し、預金の全額保護をしてそのまま経営の立て直しを行ったという事がありました。ところが同じように足利銀行が経営破綻に陥った時は、結局破綻処理がされてしまい、株券などは紙くずになってしまいました。この対応に対して「一銀行の支援に国民の税金をつかうのか」と社会的にも疑問の声が上がったようです。銀行の破綻が、一企業の倒産騒ぎというだけでなく、税金の問題や政治的な意図も絡む大きな社会的問題になったのです。

その後金融機関の安定化にともないペイオフの一部解禁が行われ、平成17年(2005年)4月からは「無利息、いつでも払い戻せる、決済サービスを提供できる」という3つの要件を全て満たす当座預金や無利息の普通預金などの決済用預金のみが全額保護となり、それ以外は定額保護(1金融機関ごとに預金者1人当たり元本1000万円までとその利息等が保護)となりました。そして2010年、日本興業銀行が経営破綻、現在の制度になってからはじめてペイオフが発動されました。これまでの「政府が保証してくれるから銀行は絶対安心」という神話はくずれ、自己責任の時代になったのです。※ 日本興業銀行について